長年、身体生活派ダンスという冠でダンスらしきものにかかわってきました。しかし、子育てが一段落すると、なぜかそのようなカテゴリーはもはや必要ないなと思い、ダンス工房という冠に変えました。
しかし、もはや、そのようにいちいちダンスの分類をする意味はないのでしょう。
昨日の広太さんのワークショップは、言葉から始まり、体の部位の感覚、身体を動かしたときにできるスペースを感じて動いてみる、と進みました。
どれも、その一瞬の感覚をとらえうる鮮度が必要だったのですが、なんやかんやと鈍っていた私の身体は、予測したり、考えて固まったりで、ひっちゃかめっちゃかでした。
最初にいただいた山崎広太さんの綴る言葉「スプーンの記憶」の最初の一文。「終わってしまった時間にいるのもいいもんだね~。」は、先月亡くなった父の身体が冷たくなっていく感触そのものでした。あたたかな光があり、それが遠のいていく時間。尊いというより、必然そのもののリアリティ。
さあ、今日も眠っている部位を動かしてみましょう。
よろしくお願いします。