Keiさんの「フレッシュフレッシュ」

Keiさんの「フレッシュフレッシュ」にトライしました。

2月5日のwsで気づいたこと。

wsでの衝撃がとても大きかったので記してみました。

今日のwsは、ダンスパフォーマンスのための振付という考え方から、広義の振付へと展開した。
コミュニティや風景も振付の対象として捉えるという考え方に触れて、深く納得した。
10年ほど前に、シェ・パニーズ(だったか?レストランの名前)のシェフ、アリス・ウォータース(だったと思う)の試みについて知って以来、ずっと気になっていた。
それは、有機野菜を育て美味しい料理にして、感動を届けるという活動に留まらず、地域の学校に通う子供たちに野菜作りから料理、食事へと体験してもらう場をクリエイトするものだった。
それがずっと心に引っかかっていた。
今日の山崎さんの話しで気付いた。
「あれは、振付だったんだ。コミュニティも風景も振付できるんだ。」
だからずっと気になっていたんでしょう。
ダンスは、限られた空間で自分の世界観を表現するための活動として考えていた。
公演活動と並行して、地域の絵本カーニバルイベントでのパフォーマンス活動。
図書館でのお話し会やパフォーマンス。
郷土料理を新しい形で紹介するランチ会。
絵本を読み合うネットミーティング。
学校での餅つき大会の実行委員。
コンポスト講座のプランニング。
いま行っているこれらの活動も広く振付ととらえて、更にクリエイティブに、世界観を表現できるものに発展させることができるんじゃないかと希望が湧いてきた。

他者に世界観を表現してもらうためのインストラクション

ダリの絵。(仮)
一見とても具体的に描かれる現実。だけど大きく何かが違う。
そこには戸惑いは一切ない。
驚きだけ。
潔いほど大きな違和感が面白くも感じられる。
空には岩が浮かび、魚はおしゃべりをする。
わたしの足は、わたしを置いてどこかへ歩いていってしまう。
心地よい浮遊感を感じる。
だけど、それは空へ浮かぶのではなく地面にめり込んでいる。
地球に溶けてしまうんだろうか?
いいえ、わたしは陽気なフォークロアの音楽になる。
音の波になる。
それはただ陽気な気分だけを届ける波であり粒子。
つやつやした陽気な粒子は輝きを増して光に変わる。
どこへでも行ける光。
いつかダークマターに出会えるんだろうか。

すきま

外を観察した後のテキスト

ws中に書いたものをそのまま上げてみます。

(これを推敲してあげてもいいと広太さんが言われたので、この後推敲にも挑戦してみようと思います。)

ジーンとするような木と山の音を感じる。
この日差し、夕方のつよーい日差し、割と好きだなぁ。一番は朝の光だけど。
ところで誰もいない。小学校の裏通り200mほどを通る人はひとりもいない。
向いの給食センターの音だろうか?そこに設置してある自販機の音だろうか、じゅわーっと音を立てている。
ここに立つとずっとこの音が聞こえるんだ。
山の音と、自販機の音、音にはレイヤーがあるんだな。
歩いていると、どのかの家から大きなラジオの音が聞こえてきた。お年寄りが聞いているんだろうか?
道路にまで大きく聞こえている。
お年よりが夫婦で歩いている。(多分夫婦)
小学校を除くとお年寄りが数人。校門から出てくるところだ。
今日は選挙だからね。
そしてここは、日本一高齢化が進んでいる地域だからね。
出会ったお年寄りは、みんなで7人。きっとみんなの年齢を足したらすごいことになりそう。
もしかしたら500を超えるんじゃないかな。
玄関先でおじさんが作業している。
何かを修理しているんだろうか。何かを掘ってるのかな?
お隣の子供たちの声が一瞬聞こえた!子どもの尖った声。自分の神経がピピっと反応しているのがわかる。
お年寄りの身体とその周りの雰囲気と子どものそれは全く違う。
弾力のあるボールと、表面が徐々に空気に溶けだしたボール。
時間と共に空気に溶けて最後には消えてしまうのかー。
あ。そうだ。匂い。
今はあまり外のにおいを感じなかった。
いや、あるはず。
わたしが反応するのは食べ物のにおいと危険な匂いだからか。
今度外に出る時は、いつもの外にどんなにおいがあるのかを観察してみよう。
観察しようと思って外に出て、目的もなく歩いたり何かを眺めたりしていると通り掛かった人に「この人何してんの?」って思われるんじゃないかと思ってしまう。
こんなことを思っているようじゃまだまだだな。
全然知らない人に何を思われてもいいはずなのにね。
自分が「何をしている人」かはっきりあらわさなくてもいいよね。

アートってなんだろ

「アートって何だっけ?」と検索してしまいました。
芸術?美の追求?私は、これまでアートとは「驚きを届けること」だと思っていました。
広太さんの冒頭の言葉の中にある“アート”はどういう意味なんだろうか、アートをどう言うものだとお考えなんだろうかという疑問に何らかのヒントが欲しかったからです。
検索した中で私が受け取った2つのことは、“感覚的精神的な心の動きの共有”と、“社会に間接的に影響を与える活動”。
そうか。感覚的精神的やり取りのことなんだな。だけど、“感覚的精神的”なことのやり取りというのは可能なんだろうか?言葉を介すると、それは直接伝え、受け取るというダイレクトなやり取りが不自由にはならないか。

先日読んだ有名な絵本 Missing piece 。
ビッグオーは、常に足りない何かを探し続けている。追求するという行為を続けている人がアーティストで、そこで何かを成し遂げ社会に影響を与えることができた作品がアート。成し遂げられなかった人もたくさんいることだろうなぁ。だけど、感覚的精神的なやり取りの場を作ることができれば、その場もアートになるのか。

結果なんてわからないけど、感じたものを出してみよう。