実験③ インストラクション「牡丹雪の降る日」

前回の自分のインストラクションでは文章そのままにやりすぎたかなと思ったので、今回は文章から受ける感覚をできるだけそのまま出せるようにトライしてみました。

動きにおこすのはちょっと難しいなと前回思ったので、今回は写真にて。

エアコンとか映り込まない方がいいかと思ったけど、意外と日常感があった方が感覚が近くなる気がしたので切り取るのはやめました。

それならそれでもっと考えられたら良かったなと思っています。

手前の部分ももうちょっと何かできたかなと思うけど、どうやったら良かったんだろうか…。

実験② 「進んでいる」で作ってみた

WS重ねるうちに、とりあえずやってみないと先に進めないよなと思い、とにかく試行錯誤しつつ作っていってみることにしました。

今日時間があったので、まずは自分のインストラクションにて第1号を作りました。

【思ったことの記録】

・文章のインストラクションがあるから、それに沿っていけばいいという安心感はある。(つまりは、インストラクションの時点でちゃんと組み上げてないと、その時点で成立しないんだな…。※当たり前のこと書いててごめんなさい。)

・動画組み終わってから、音楽のこと何も考えてなかったことに気付いた…。今回はとりあえず自然音にて。

・ほぼ文章に沿って並べてみたけど、これはただ映像を並べるだけになってしまってるんだろうか?入れ替えたりしたらもっと違うんだろうか?

もしくはインストラクションの限界という可能性も排除できない…。

・それに関連して、自分で作ったものを客観的に見るのってほんと難しい。自分では意味がわかってるから、一貫性を持って見ることができてしまうのが問題。

・あと、やたら劇的になってしまうシーンがあった。

・一面空バックとか柵のポテンシャルはもっと使えたなと思う。

・ちなみに汽車感は個人的にはけっこう満足(これは自己満でもいいや笑)

・今日のWS終えての追記。ちょっと説明しようとしすぎてるのかもと思った。

インストラクション「進んでいる」

今、あなたのいる場所が、世界の中心です。

手を差し伸べると、感じられる風景があるでしょうか。

世界のどこかで、今、それはきっと存在しています。

ゆっくりと手を動かして、その風景を探検してみてください。

手を動かすにつれて、風景が変わっていくかもしれません。

他の身体も、一緒に世界の探検を始めます。

右脚、左肩、頭、脇の下。。。全て違う風景の中にいるかもしれません。

ふっと、身体が1つだったことに気付いてください。気付いたら、あなたの身体は汽車に乗っていたみたいです。

運ばれて。運ばれて。揺れる。音が聞こえる。

身体が運ばれるということは、重力の上を滑っているということなのかもしれない。

もしくは別の何かかも?

この汽車は、いつの時代を走っているのか考えてみてください。

その時代は、今から少し離れているところにあるかもしれないけれど、地続きには違いありません。

その時代に、存在することはできるでしょうか。

それはどんな感覚?どんな匂いがする?座席の生地はどんな感じ?

他にどんな人がいるでしょうか?彼らとコンタクトは取れるでしょうか?

汽車は目的地に向かいます。

まっすぐか、あるいは寄り道もするか。

今走っているのはどのあたりでしょう。

地図を広げて。目的地を探して。

迷ったら、誰かに聞いてみる?

それとも自分で見つける?

運ばれるのか、私が進んでいくのか。

迷ったら、世界の中心に戻ってくればいい。

実験① ネットワークの違いを実感したい


最初の2日間を終えて、自分は今、ネットワークというものに興味がわいているんだなということに気付きました。

と同時に、せっかく1人でやっているわけではないので、ちょっと皆様にお付き合いいただいて実験してみたいと思うことが出てきました。それを今回のプレゼンテーションにしてみたいと思います。
もしよろしければ、お付き合いいただけると有難いです。

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以下に、私がある特定のテーマを決めて、そこから連想した単語や言葉を書き出しました。
1つのテーマに対して、5つの言葉を。

テーマは書いていませんので、この5つの言葉だけを読んでみて、何か思い浮かんだもの、連想したもの・・・言葉や感覚でも何でもいいので、何かあったらぜひコメントでシェアしてください。

※テーマ同士には全く関係がありません。それぞれ独立しています。
※何も思い浮かばない、というのも可です。


≪テーマ①≫
・とめる
・鉄
・いくつか種類がある
・ちょっと痛い時もある
・ケースに入れて走るとちょっとうるさい

≪テーマ②≫
・草原を揺らしていく風
・ピンクかクリーム色
・当たり前に受け入れる
・ゆっくり
・いるのが当たり前

≪テーマ③≫
・ウミガメの卵
・きれいに盛り付けられた料理
・火のついた細長いロウソク
・ダビデ像(倒れた状態で)
・砂時計(立ってる状態で)

今の時点で思ったことの記録


「やさしい」はどこからくるのか。なぜそう感じるのか。

私が今感じていることは、言葉で表せば「やさしい」だけど、「優しい」ではないし、「易しい」ではもちろんない。
「穏やか」の方が感覚としては近いと思うんだけど、でも「やさしい」という言葉の方がしっくりくる。

今私が「やさしいと感じている」と誰かに言ったとして、実際に感じているこの感覚をそっくりそのまま伝えられるのか。といえば、多分できなくて。

形容詞ほどその人個人の記憶・経験・知識・情報に依存するものはないような。
(それらはどこにある?実は全て身体的感覚にあると言えそうな気がしてきたけど、これはちょっとわからない)

でも、別に形容詞だけじゃない。天気だってどこまでが晴れでどこからが曇りか。
たしかに天気用語としては、雲が空の9割を占めていたら曇りっていう決まりがあるけど、でも日常の中ではもっと感覚的に言ってる。

私と誰かの小雨と霧雨の境目は多分違う。
(どうでもいいけど、霧雨ってきれいな言葉だ。なぜそう感じる?)

私は私の「やさしい」をこれまで育ててきた、みたいな気分になってきた。


過去とのネットワークの産物。
違うか。変化途上のネットワークで、ある一点を抜き出した感じなのか。

ネットワークはその気になれば再構築できる。
いつその気になるかだけの話で。

ネットワークに限らず、大体のものは再構築できるんではなかろうか?
恐ろしく難しいことはあっても、絶対に不可能ということってないような。

その気にさえなれば。

再構築とか言うから難しい。変化でいいんじゃないの?
全くもって変化しないものはありうるのか。あるとしたら、どんな状態?

でも再構築っていうと、過去から組み替える可能性を含んでいるのか?

今、から過去を変えられるってことなのか?少なくとも触ることはできる…?


じゃあ、言葉で伝えることにはどんな意義があるのか。

完全一致するはずもないがある一定の共通項がある感覚に「やさしい」という名称を付けて、その言葉を自分ではない他人に伝え、得られるものとは?

理解?完全一致しないものを介して伝えているのに、それは可能なのか?

だけど会話をしていて、「伝わった」「通じた」「わかった/わかってもらえた」という感覚を持つことはある。何をもって私はそう判断しているのか?

逆に「わかったよ」と言われても、会話がいくら続いても、絶対伝わってないと思うこともある。なぜ?

それでも私は、言葉を大事にしている節がある。それもまた妙な話。


では、理解してもらえることはあり得ないという前提に立って、
そもそもお互いが理解を求めないで会話した時、相手から発せられた言葉から思考が影響を受けずにいられるのか?

・・・私は誰と会話しているの?相手?言葉?それとも自分自身?


逆に、もし人と人との間に存在する全ての言葉が完全一致しているとして、
その場合に会話から得られるものは一体何?


理解とは。伝わるとは。

世の中に完全一致するものは存在するのか?


私はダンサーなので、普段作品を創ることはありません。

今回、創り手としてのプロセスを踏んでみることで、違う視点に立って、作品とは、ダンサーとは、といったことに向き合ってみたいと思っています。

今のところ作品として形にする糸口すら全くつかめていませんが、最終的には自分の身体を何らか関わらせてプレゼンテーションをするところまでもっていきたいと考えています。

その最初のスタート地点として(スタート地点になりうるのかどうかもまだわからないけれど)、上の文章を残します。